白川金色院跡 - Shirakawa-Konjiki-in Site
2015/11/22
白川金色院は藤原頼通の娘で後冷泉天皇の皇后であった藤原寛子(かんし)が平等院の奥の院として康和四年(1102)に建立し、寛正元年(1460)に焼失したと伝えられている幻の御堂です。藤原寛子は十五才で冷泉帝に入内し、華美を好み、頼通が創建した平等院に宝塔を建立したり大法要を何度も主催したりするなど仏事にも熱心でした。白川金色院建立にかかわる確かな記録はありませんが、最近の発掘調査によって付近から平安後期とみられる建物跡や金箔片などが出土しその存在が明らかになっています。文珠菩薩を安置した本堂は金箔が散りばめられ、約二十年後に建てられた平泉の金色堂はこの金色院を模したとも言われています。
山門の奥、百メートル程の場所に金色院跡の石標が立っています。
寛子の供養塔と言われている九重石塔。金色院脇の道奥の一角にひっそりと立っています。
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【名称】白川金色院跡(しらかわこんじきいんあと)
【最寄駅】京阪電車宇治駅から徒歩約45分、JR奈良線宇治駅から徒歩約40分、両駅からバス利用の場合は「黄檗宇治大久保線240A」で近鉄大久保行へ乗車し琵琶台口で下車、そこから徒歩約25分
【住所】京都府宇治市白川宮の後