宇治・上林記念館
2015/11/22
宇治橋西詰から宇治橋通りを歩いていくと左手に「長屋門」と称される宇治茶師家独特の大きな門構えが見えてきます。この長屋門は元禄十一年(1698)の宇治の大火の後に再建されたもので築後約三百年を経ており、数十件の茶師の門構えが軒を連ねていたかつての町並みのおもかげを唯一伝えているものです。宇治・上林記念館はこの長屋門を修復し、建物内に宇治茶の歴史を伝える貴重な資料を保存、展示しています。
館内には、製茶用具や御茶壷道中に使われた道具類、豊臣秀吉や千利休が上林家に宛てた書状、茶道具などが所狭しと展示されています。
上林家は、丹波上林郷(京都府綾部市)の土豪でしたが永禄年間(1558~1570)に初代久重が宇治に移住し茶業に携わり、宇治茶との結びつきが始まります。桃山時代に大名の間で茶の湯が盛んになると宇治茶は豊臣秀吉や徳川家康によって保護、育成され茶師である上林一族も重用されます。本能寺の変に際しては、徳川家康が堺(大阪府)から三河(愛知県)まで明智光秀の送った手兵から逃げ帰りますが、この時、初代久重の息子上林久茂(ひさもち)が南山城から信楽までの道中を案内しています。また、久茂の弟、上林政重は、若いころ家康に仕え、のち宇治に帰って茶業に励みますが、関ヶ原の戦いの折、鳥居元忠とともに伏見城に籠り奮闘、戦死しています。こうした一族の功績により上林家は宇治代官茶頭取(うじだいかんちゃとうどり)に任ぜられ、江戸時代を通じてこの地を支配することになります。
萩 茶碗
呂宋(ルソン)無釉三耳壷:蜂須賀家より拝領と伝えられる呂宋壷。呂宋壷は文禄三年(1594)堺の呂宋助左衛門がフィリピンのルソン島から多量に持ち帰り、茶壷として豊臣秀吉はじめ諸大名に珍重されました。以降、慶長年間(1596~1615)末頃まで輸入された壷を呂宋壷と称し、その多くは中国南部産のもので、東南アジア諸島産のものは僅少であったと推されています。
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【名称】上林記念館(かんばやしきねんかん)
【最寄駅】JR奈良線宇治駅から徒歩6分、京阪電車宇治駅から徒歩9分
【住所】宇治市宇治妙楽38
【URL】http://www.shunsho.co.jp
【開館時間】10:00~16:00、金曜日休館
【入館料】大人200円、小人無料